購買決定プロセスモデルの乱立に翻弄される実務現場
筆者がマーケティング部門からリサーチ依頼を受けるとき、購買プロセスの話になると必ず混乱が起きます。ある企画担当者はAIDMAで説明し、別の担当者はAISASを前提に話し、さらに別のメンバーはDECAXやバタフライサーキットを持ち出します。結果として、同じ消費者行動を語っているはずなのに議論がかみ合わず、調査設計の方向性が定まりません。
購買決定プロセスモデルは、消費者が商品を知ってから購入に至るまでの心理と行動の流れを図式化したものです。マーケティング戦略やリサーチ設計の基盤となる重要なフレームワークですが、時代とともに複数のモデルが提唱され、実務者はどれを使うべきか判断に迷います。
本記事では、AIDMA、AISAS、DECAX、5A、バタフライサーキットという代表的な5つのモデルを比較し、それぞれの構造・背景・適用場面を明確にします。各モデルの本質的な違いを理解すれば、自社の商材や顧客接点に合った最適なモデルを選択でき、戦略立案とリサーチ設計の精度が格段に高まります。
購買決定プロセスモデルとは何か
購買決定プロセスモデルは、消費者が商品やサービスを認知してから購買行動に至るまでの一連の心理的・行動的段階を可視化したフレームワークです。マーケティング施策の設計、広告効果測定、カスタマージャーニーの構築、定性調査や定量調査の設計など、実務のあらゆる場面で参照されます。
このモデルが生まれた背景には、消費者の購買行動が単純な刺激反応ではなく、複数の段階を経て意思決定される複雑なプロセスであるという認識があります。企業が効果的にマーケティング施策を打つには、消費者が今どの段階にいるのかを把握し、その段階に応じた適切な働きかけを行う必要があります。
しかし時代とともにメディア環境や消費者の情報取得手段が変化し、従来のモデルでは説明しきれない行動パターンが出現しました。その結果、インターネット普及期にはAISAS、SNS時代にはDECAXや5A、情報探索行動の複雑化を受けてバタフライサーキットといった新しいモデルが次々に提唱されてきました。
AIDMA:マス広告時代の基本モデル
AIDMAは、1898年にアメリカの広告実務家エルモ・ルイスが提唱した購買決定プロセスモデルです。Attention(注目)、Interest(興味)、Desire(欲求)、Memory(記憶)、Action(行動)の頭文字を取ったもので、マス広告が主流だった時代に広く使われてきました。
このモデルの特徴は、消費者が広告などで商品を知った後、興味を持ち、欲しいという欲求を抱き、それを記憶にとどめた上で、実際の購買行動に移るという一方向的な流れを想定している点です。テレビCMや新聞広告、雑誌広告といったマスメディアを通じた情報伝達が中心だった時代には、この線形モデルが消費者の行動パターンをうまく説明できました。
筆者の経験でも、FMCG(日用消費財)メーカーのテレビCM効果測定では、今でもAIDMAの枠組みで調査を設計することがあります。CMによる認知向上、興味喚起、購入意向の変化を段階的に測定し、どの段階で離脱が起きているかを特定します。ただし、現代ではMemory(記憶)の段階が機能しにくくなっており、AIDMAだけで消費者行動を説明するのは困難です。
AISAS:インターネット時代の検索行動モデル
AISASは、2004年に電通が提唱したモデルで、Attention(注目)、Interest(興味)、Search(検索)、Action(購買)、Share(共有)の頭文字を取ったものです。インターネットの普及により、消費者が自ら情報を検索し、購入後にその体験を共有するという新しい行動パターンが生まれたことを背景に開発されました。
AISASの最大の特徴は、SearchとShareという2つの要素を組み込んだ点です。従来のAIDMAでは、消費者は受動的に情報を受け取り記憶する存在でしたが、AISASでは能動的に検索し、購入後に情報を発信する主体として描かれます。この変化は、消費者が企業からの一方的な情報だけでなく、他の消費者の口コミやレビューを重視するようになったという行動変容を反映しています。
実務では、BtoC商材のマーケティングファネル分析にAISASが頻繁に使われます。筆者が関わった化粧品ブランドの調査では、購入前の検索行動とそこで参照される情報源を詳細に把握し、SEO対策やコンテンツマーケティングの方針を定めました。また、購入後のShare段階をSNS投稿やレビューサイトへの書き込みとして測定し、NPSとの関連を分析しました。
AIDMAとAISASの決定的な違い
AIDMAとAISASの最も大きな違いは、消費者の情報取得と発信における能動性の有無です。AIDMAでは消費者は情報の受け手であり、記憶した情報をもとに購買します。一方AISASでは、消費者は自ら検索して情報を集め、購入後には発信者となります。この違いは、マス広告中心の時代からインターネット検索とSNSの時代への移行を象徴しています。
実務上の使い分けとしては、テレビCMや新聞広告といったマス広告の効果測定ではAIDMAが、検索連動広告やSEO、SNSマーケティングの効果測定ではAISASが適しています。ただし、現代の消費者はマス広告もインターネットも両方に接触するため、一つのモデルだけで全体を説明することは難しくなっています。
DECAX:コンテンツマーケティング時代のモデル
DECAXは、2015年に電通デジタル・ホールディングスの内藤敦氏が提唱したモデルで、Discovery(発見)、Engage(関係構築)、Check(確認)、Action(購買)、eXperience(体験共有)の頭文字を取ったものです。コンテンツマーケティングやSNS時代の消費者行動を説明するために開発されました。
DECAXの特徴は、Attention(注目)ではなくDiscovery(発見)から始まる点です。消費者は企業が発信した広告に注目するのではなく、自分の関心に基づいてコンテンツを発見します。その後、企業やブランドとの継続的な関係構築(Engage)が行われ、購入前には他の情報源で確認(Check)し、購入後には体験を共有(eXperience)します。
筆者が支援したBtoB SaaS企業では、DECAXの枠組みで顧客獲得プロセスを設計しました。まず業界メディアやオウンドメディアで有益なコンテンツを発見してもらい、メールマガジンやウェビナーで継続的に関係を構築します。その後、事例ページや比較サイトで他社製品と比較検討され、導入後にはユーザーコミュニティで体験が共有されます。このプロセス全体をデプスインタビューで詳細に把握し、各段階での課題を特定しました。
AISASとDECAXの違い
AISASとDECAXは、どちらもインターネット時代のモデルですが、情報との接触のきっかけが異なります。AISASは広告などによるAttention(注目)から始まり、その後Searchで能動的に情報を探します。一方DECAXは、最初から消費者が自らDiscovery(発見)する前提です。この違いは、広告主導のマーケティングからコンテンツ主導のマーケティングへの転換を表しています。
また、AISASではInterestの後すぐSearchに進みますが、DECAXではEngage(関係構築)という段階が設けられています。これは、一回の接触で購買に至るのではなく、複数回の接触を通じて信頼関係を築くプロセスが重要になったことを示します。実務では、リードナーチャリングやメールマーケティングの設計にDECAXが役立ちます。
5A:カスタマージャーニー全体を網羅するモデル
5Aは、マーケティングの権威フィリップ・コトラーが2016年の著書「Marketing 4.0」で提唱したモデルで、Aware(認知)、Appeal(訴求)、Ask(調査)、Act(行動)、Advocate(推奨)の頭文字を取ったものです。デジタルとリアルが融合した現代の消費者行動を包括的に捉えることを目指しています。
5Aの特徴は、消費者が単に購買するだけでなく、最終的にブランドの推奨者(Advocate)になることを目標としている点です。AwareとAppealは従来の認知と興味喚起に相当しますが、Askでは友人や家族、オンラインレビューなど多様な情報源に問い合わせる段階が明確化されています。Act後のAdvocateは、単なる情報共有を超えて、積極的にブランドを推奨する行動を指します。
筆者が関わった高級ホテルチェーンの顧客調査では、5Aのフレームワークでカスタマージャーニーを設計しました。広告やSNSでの認知、ブランドストーリーによる訴求、宿泊前の口コミサイトでの調査、予約と宿泊、そして宿注後のSNS投稿や友人への推奨という流れを、インタビュー調査で詳細に追跡しました。この分析により、Ask段階での口コミの影響力と、Advocate段階での体験価値の重要性が明らかになりました。
5AとAISAS/DECAXとの違い
5AはAISASやDECAXよりも包括的で、認知から推奨までの全プロセスを網羅します。AISASのShareや DECAXのeXperienceは購入後の情報共有にとどまりますが、5AのAdvocateは能動的な推奨行動を指し、ブランドロイヤルティの構築を明示的に組み込んでいます。
また、5AのAsk段階は、検索だけでなく友人への相談や専門家への問い合わせなど、オフラインとオンラインの両方を含む幅広い情報探索行動を想定しています。このため、デジタル施策だけでなく、店舗体験やカスタマーサポートといったリアルな顧客接点も含めた総合的な戦略設計に適しています。
バタフライサーキット:情報探索の往復運動モデル
バタフライサーキットは、Googleが2019年に提唱した日本市場向けのモデルで、消費者が「さぐる」と「かためる」という2つのモードを行き来しながら購買に至るプロセスを説明します。従来の線形モデルとは異なり、消費者の情報探索行動が直線的ではなく、循環的かつ反復的であることを強調します。
「さぐる」モードでは、消費者は特定の商品に絞らず、幅広く情報を探索し、新しい発見や気づきを得ます。一方「かためる」モードでは、候補を絞り込み、比較検討して購買を決定します。重要なのは、この2つのモードが交互に繰り返され、蝶が羽ばたくように情報と商品の間を往復する点です。
筆者が支援した家電メーカーの調査では、消費者が冷蔵庫を購入する際、まずSNSや口コミサイトで「さぐる」モードで幅広く情報を収集し、次に価格比較サイトやメーカーサイトで「かためる」モードに入ります。しかしその後、新しい機能や別のブランドの情報に触れて再び「さぐる」モードに戻り、最終的に購入を決定するまで複数回の往復が観察されました。この行動パターンは、従来のAIDMAやAISASでは説明できません。
バタフライサーキットと他モデルの根本的な違い
バタフライサーキットは、AIDMA、AISAS、DECAX、5Aといった線形モデルとは根本的に異なる構造を持ちます。線形モデルでは、消費者は一方向に段階を進みますが、バタフライサーキットでは「さぐる」と「かためる」を何度も往復します。この違いは、現代の情報過多な環境で、消費者が一度の検索で購買を決めるのではなく、継続的に情報を収集し、比較検討を繰り返す実態を反映しています。
実務上の意味は大きく、線形モデルでは各段階に対応した施策を順番に実施しますが、バタフライサーキットでは「さぐる」モードと「かためる」モードの両方に同時に対応するコンテンツが必要になります。筆者が関わった美容家電のマーケティングでは、発見型のSNS投稿と比較検討を支援する詳細な製品情報ページを並行して用意し、どちらのモードの消費者にも対応できる設計にしました。
5つのモデルを実務でどう使い分けるか
ここまで見てきた5つのモデルは、それぞれ異なる時代背景と消費者行動を前提としています。実務で最も重要なのは、自社の商材、ターゲット顧客、主要な顧客接点に応じて適切なモデルを選択することです。
マス広告が中心で、消費者が受動的に情報を受け取るFMCG商材では、今でもAIDMAが有効です。テレビCMの認知効果測定や店頭でのブランド想起調査には、AIDMAの枠組みが適しています。一方、検索行動が購買の前提となるEC商材や比較検討型の高額商材では、AISASが実態に合います。SEO対策やリスティング広告の効果測定、購入後のレビュー投稿促進施策には、AISASの構造が役立ちます。
コンテンツマーケティングやSNSを主軸とするブランドでは、DECAXが適しています。オウンドメディアやブランドコミュニティを通じた関係構築を重視する場合、Engageの段階を明示的に設計できるDECAXが有効です。包括的な顧客体験全体を設計する場合は、5Aが最も適しています。認知から推奨までの全段階を網羅し、デジタルとリアルの両方を含む施策を統合的に管理できます。
情報探索行動が複雑で、消費者が何度も比較検討を繰り返す商材では、バタフライサーキットが実態を最もよく説明します。住宅、自動車、家電、旅行といった高関与商材の調査設計では、線形モデルではなくバタフライサーキットを前提にすることで、消費者の実際の行動により近い設計が可能になります。
モデル選択の3つの判断基準
実務でどのモデルを使うべきか迷ったときは、次の3つの基準で判断します。
第一に、顧客接点の主軸がどこにあるかです。マス広告が中心ならAIDMA、検索エンジンが中心ならAISAS、コンテンツやSNSが中心ならDECAXやバタフライサーキット、オムニチャネルで複数の接点があるなら5Aが適しています。
第二に、購買までの検討期間の長さです。即座に購買される低関与商材ではAIDMAやAISASのような短いプロセスモデルが、長期間の検討を要する高関与商材ではDECAXや5A、バタフライサーキットのような関係構築や情報探索の往復を含むモデルが適合します。
第三に、リサーチの目的です。広告効果測定ならAIDMAやAISAS、カスタマージャーニー全体の設計なら5Aやバタフライサーキット、コンテンツマーケティングの効果測定ならDECAXというように、調査の目的に応じてモデルを選びます。筆者の経験では、一つのプロジェクトで複数のモデルを併用することもあり、それぞれの視点から消費者行動を多角的に分析します。
モデルを調査設計に落とし込む実践例
理論を実務に落とし込む際、筆者が実際に行っている方法を紹介します。あるスキンケアブランドのリニューアルプロジェクトでは、5Aとバタフライサーキットのハイブリッドモデルで調査を設計しました。
まず5Aの枠組みで全体のカスタマージャーニーを描き、Aware段階ではSNS広告とインフルエンサー投稿、Appeal段階ではブランドストーリーと製品特長、Ask段階では口コミサイトと友人への相談、Act段階では購入チャネルと初回使用体験、Advocate段階ではリピート購入と推奨行動を設定しました。
次にバタフライサーキットの視点を加え、Ask段階が実は「さぐる」と「かためる」の往復運動であることを前提に、デプスインタビューで詳細な情報探索プロセスを把握しました。その結果、消費者はInstagramで幅広く製品を発見し、@cosmeで成分や使用感を確認し、再びInstagramに戻って別のブランドを探し、最終的に価格比較サイトで購入を決定するという複雑な経路が明らかになりました。
この知見をもとに、「さぐる」モード向けにはビジュアル重視のInstagramコンテンツ、「かためる」モード向けには詳細な成分説明と使用方法動画を用意し、どちらのモードにも対応できるコンテンツ戦略を構築しました。この事例は、複数のモデルを組み合わせることで、より実態に即した戦略設計が可能になることを示しています。
モデルを過信しない姿勢が最も重要
購買決定プロセスモデルは、消費者行動を理解し戦略を設計するための便利なツールですが、あくまで簡略化された図式であることを忘れてはいけません。実際の消費者行動は、モデルが想定するよりもはるかに複雑で、個人差も大きく、状況によって変動します。
筆者が最も懸念するのは、モデルに当てはめることが目的化し、実際の消費者の声や行動を無視してしまうケースです。ある飲料メーカーの調査では、担当者がAISASの枠組みに固執し、Search段階の重要性を過大評価していました。しかし実際にインタビューしてみると、消費者はほとんど検索せず、店頭で偶然目にしたパッケージデザインと価格だけで購入を決めていました。この場合、AISASよりもAIDMAの方が実態に近かったのです。
モデルは現実を説明するための道具であり、現実をモデルに合わせるべきではありません。調査設計の際には、まず消費者の実際の行動を観察し、その上で最も適合するモデルを選択するという順序が正しいのです。
まとめ:モデルは地図、現実は地形
AIDMA、AISAS、DECAX、5A、バタフライサーキットという5つの購買決定プロセスモデルは、それぞれ異なる時代と消費者行動を反映しています。AIDMAはマス広告時代の線形モデル、AISASはインターネット検索時代のモデル、DECAXはコンテンツマーケティング時代のモデル、5Aは包括的なカスタマージャーニーモデル、バタフライサーキットは情報探索の往復運動を捉えたモデルです。
実務では、自社の商材、顧客接点、調査目的に応じて適切なモデルを選択し、場合によっては複数のモデルを組み合わせて使います。ただし、モデルはあくまで現実を理解するための道具であり、消費者の実際の行動や声を最優先すべきです。
筆者が常に心がけているのは、モデルを地図として使い、地形である現実の消費者行動を丁寧に観察し続けることです。地図は便利ですが、地図だけ見ていては実際の地形の起伏や変化を見逃します。定性調査で消費者の生の声を聞き、定量調査で行動の傾向を把握し、その上で最適なモデルを選択する。この姿勢が、実務で成果を出すリサーチとマーケティング戦略の基盤になります。


