B2B製造業の現場では、顧客への納期連絡や在庫確認、パートナー企業との情報共有に多くの時間を費やしています。筆者がこれまで支援してきた製造業の企業でも、電話やFAX、メールでのやり取りがボトルネックとなり、本来注力すべき生産管理や品質向上に手が回らないという声を数多く聞いてきました。
こうした課題に対する解決策として注目されているのが、Salesforce Experience Cloudです。これは社内で利用しているシステムや情報を安全に外部のパートナー様やお客様へ広げる仕組みを提供する製品であり、製造業特有の複雑な取引構造にも対応できます。
Experience Cloudとは何か
Experience Cloudは、顧客やパートナーとのコミュニティ環境を素早く構築し、Salesforceのデータベース(CRM機能)を顧客やパートナーと共有できるツールとして機能します。従来のWebサイト構築ツールとの最大の違いは、WebサイトがSalesforceのCRMデータと直接接続している点にあります。
顧客がログインした際にその顧客に関連する情報だけを表示するパーソナライズ機能を実現できるため、B2B製造業における顧客ごとの価格設定や製品カタログの出し分けといった複雑な要件にも対応可能です。
B2B製造業に適した3つのポータル形態
製造業でExperience Cloudを導入する際、主に3つのポータル形態が活用されています。
第一に顧客向けポータルサイトがあります。顧客が自己解決できるようFAQページ、ヘルプセンター、サポートチケット管理システムを提供することで、問い合わせ対応の工数を大幅に削減できます。製造業では製品の仕様確認や納期照会が頻繁に発生しますが、これらをセルフサービス化することで営業担当者の負担が軽減されます。
第二にパートナー向けポータルです。販売代理店やパートナーとの情報共有をスムーズに行うために利用され、販売支援資料や価格表、最新キャンペーン情報をパートナー企業向けに提供するポータルを作成できます。B2B Commerceでは標準でService Cloud、Sales Cloud、Experience Cloudと統合されており、商談データや在庫情報のリアルタイム共有が実現します。
第三に社内向けポータルも構築可能です。社内ドキュメントの共有や研修資料の配信、ナレッジベースの構築などに利用でき、従業員が必要な情報に簡単にアクセスできる環境を整えることで生産性の向上が期待できます。
B2B製造業でExperience Cloudが重要な理由
日本の製造業は深刻な課題に直面しています。ものづくり白書によると、およそ6割の企業が技術指導できる人材が不足していると回答しており、限られた人材で業務を回していく必要があります。
これまで受注業務はFAXや電話やメールを使ったものが大部分だったため、ERPやSalesforceに取り込むためには人の手を介して変換作業をしている状況でした。これに工数がかかり、結果としてボトルネックとなって納期の連絡が遅くなるなどの原因となっていました。
Experience Cloudを導入することで、問い合わせがポータル経由でSalesforceのケースオブジェクトに自動連携されることで、対応履歴の入力や分類の手間がなくなり、サポート担当者一人あたりの対応件数(生産性)が向上します。
製造業特有の課題への対応
顧客からの発注を基に製造する製造業の場合、発注した後の製品製造はどのように進捗しているのか顧客には見えませんという問題がありました。この情報の非対称性が、顧客からの問い合わせ増加や営業担当者の負担増につながっていたのです。
Experience Cloudで顧客向けポータルを構築すれば、顧客が自身の購入履歴、契約内容、サポートケースのステータスなどを確認できます。これにより問い合わせ対応の工数削減だけでなく、顧客満足度の向上も期待できます。
Experience Cloudの主要機能とB2B製造業での活用シーン
製造業でExperience Cloudを効果的に活用するには、その主要機能を理解し業務に適用していく必要があります。
CRMデータとの統合によるパーソナライズ
SFAデータ(商談、リード、在庫、価格表など)をリアルタイムでポータルに反映できる点が最大の強みです。製造業では顧客ごとに異なる価格体系や取引条件が設定されていることが一般的ですが、代理店ごとに異なる商品情報や価格情報を表示することが可能になります。
アカウント階層、複雑な価格設定、カスタムカタログ、アカウント管理、柔軟性のある購買・出荷オプションといった高度なB2Bコマース機能を実装できるため、大量発注や複数配送先への対応も容易です。
セルフサービスポータルによる業務効率化
Knowledge記事を活用したセルフサービスポータルを構築することで、顧客が自分で問題を解決できるため、サポート担当者への問い合わせ件数が減少(最大約30%減)します。製造業では製品の仕様確認やトラブルシューティングに関する問い合わせが多いため、この削減効果は大きいものとなります。
筆者が支援した事例では、経験の浅い若手エンジニアでも集約・一元管理されたナレッジを参照しながら、お客様に一定水準以上のサービスを提供できるようになりましたという成果が報告されています。
パートナー連携の強化
パートナーと案件情報(リード、商談)をリアルタイムで共有し共同で更新できるため、営業サイクルの遅延が減少します。また販促資料やトレーニングをポータルで一元管理することで、パートナーの販売能力が向上し、結果としてパートナー経由の売上が最大化しやすくなります。
導入における具体的なステップと注意点
Experience Cloudを製造業で効果的に導入するには、計画的なアプローチが必要です。
導入前の準備と要件定義
まず重要なのは、どのような情報を誰と共有したいのかを明確にすることです。プロファイル(基本的なアクセス権限)や権限セット(追加の権限)を設定することで、適切な情報だけを閲覧・編集できるようになります。
共有設定を誤ると外部ユーザーに見てはいけない機密データまで公開してしまうリスクがありますので、Salesforceの専門知識を持った担当者による設計が不可欠です。
段階的な構築アプローチ
標準のテンプレートを使ってデザインをカスタマイズし、検索機能・カテゴリ機能・チャット機能・問い合わせ機能を実装していきます。実際の事例では、2日間でカスタマーコミュニティサイトではなく社内ポータルサイトを構築できたというケースもあり、比較的短期間での立ち上げが可能です。
ただし、これは基本的な機能に限定した場合であり、製造業特有の複雑な要件に対応するにはより時間をかけた設計が必要になります。
データ連携とセキュリティの考慮
Experience CloudはSalesforceのデータ構造に基づいて構築されるため、ポータルデザインの自由度や表示スピードはSalesforce内のデータの整合性やレポートの複雑さに大きく影響されます。そのため、導入前にSalesforce内のデータ整備が重要となります。
シングルサインオン(SSO)を活用すればSalesforce以外のシステムとも連携し、スムーズなログイン体験を提供できます。製造業では既存の基幹システムとの連携が必須となるケースが多いため、この機能は非常に有用です。
製造業におけるExperience Cloud導入事例
実際にB2B製造業でExperience Cloudを活用している企業の取り組みを見ていきましょう。
研磨材メーカーの受発注デジタル化
研磨材の製造から、OEM製品のエンジニアリングサポートや製造などを行っているMipox株式会社では、B2B Commerceの導入を決定しました。注文情報から生産計画や在庫といったERPの領域まで連携してサプライチェーン全体のデジタル化を実現しています。
この事例では、Experience CloudがB2B Commerceと連携することで、顧客が自らポータル経由で注文できる仕組みを構築し、人手を介した受注業務の工数を大幅に削減しました。
製造業向け受発注システムの短期構築
製造業でクラウド上に受発注システムを約3ヶ月で構築し、顧客専用ポータル機能を拡張。お客様がポータル経由で注文履歴や在庫を確認できるようにしたことで業務効率アップとペーパーレス化を実現した事例もあります。
筆者の経験では、従来のスクラッチ開発と比較して開発期間を半分以下に短縮できるケースが多く、初期投資の抑制にもつながっています。
サービス業務の効率化事例
製造業では製品の保守・メンテナンスなどのサポート業務が欠かせません。Salesforceのナレッジ管理機能を活用し技術やノウハウをデジタル化して組織全体で共有することで属人化を解消した事例があります。クラウドベースのSalesforceでデータを統合し情報共有を促進。パートナー企業を含めた関係者全員がいつでもどこからでも必要な情報に迅速にアクセスできる環境を整えました。
導入時の課題とその克服方法
Experience Cloudの導入には、いくつかの課題が存在します。これらを事前に理解し対策を講じることが成功の鍵となります。
ライセンスとコストの最適化
Customer Community、Customer Community Plus、Partner Community、External Apps、External Identityなど主なExperience Cloudライセンスがあり、顧客からの問い合わせ受付やQ&A公開など基本的な顧客向けコミュニティ機能から代理店など外部関係者と共通で案件管理を行う機能まで用途に応じて選択できます。
製造業では、顧客向けとパートナー向けで必要な機能が異なるため、それぞれに適したライセンスを選定することでコストを最適化できます。
現場への定着化支援
情報セキュリティやプライバシー漏えいへの不安(52.2%)、利用する人のリテラシーが不足しているから(44.2%)という回答が、デジタル化が進まない理由として上位に挙げられています。
筆者が支援する際には、段階的なトレーニングプログラムを用意し、まず社内の一部門でパイロット運用を行ってから全社展開するアプローチを推奨しています。使い慣れたツールから新しいポータルへの移行をスムーズに進めることが、定着化の鍵となります。
既存システムとの連携
Salesforceの各サービスが連携しワンストップでオープンな情報プラットフォームとして機能することが重要です。製造業では既にERPや生産管理システムが稼働していることが多いため、これらとExperience Cloudをいかに連携させるかが課題となります。
API連携やミドルウェアを活用することで、既存システムのデータをリアルタイムにポータルへ反映させることが可能です。筆者の経験では、在庫情報や納期情報を既存システムから取得してポータルに表示する仕組みを構築することで、顧客からの問い合わせを大幅に削減できた事例があります。
まとめと今後の展望
B2B製造業におけるExperience Cloudの活用は、単なる情報共有ツールの導入にとどまりません。顧客を中心にしたものの考え方が大事であり、製造の効率をいかに高めようとも販売できなければ生産性が上がったとは言えません。
Experience Cloudを導入することで、顧客やパートナーとの接点をデジタル化し、顧客が自身の購入履歴、契約情報、問い合わせステータスをセルフサービスで確認できることで顧客満足度(CSAT)が向上します。同時に、社内の業務効率化と人材不足への対応も実現できます。
製造業のデジタル化は待ったなしの状況です。少子高齢化や労働力不足が進行するなかでデジタル技術の導入が生産性向上の鍵となっています。Experience Cloudは、限られたリソースで最大の成果を出すための有力な選択肢の一つといえるでしょう。
導入を検討する際には、自社の課題を明確にし、段階的なアプローチで進めることが重要です。まずは小規模なパイロットプロジェクトから始め、成功体験を積み重ねながら全社展開していく。そうすることで、確実に成果を上げられる体制を構築できます。
この記事を書いた人

石崎 健人 | 株式会社バイデンハウス マネージング・ディレクター
リサート所属モデレーター。外資系コンサルティング・ファーム等を経て現職。バイデンハウスの消費財、ラグジュアリー、テクノロジー領域のリーダーシップ。生活者への鋭い観察眼と洞察力を強みに、生活者インサイトの提供を得意とする。2022年より株式会社バイデンハウス代表取締役。2025年よりインタビュールーム株式会社(リサート)取締役。アドタイにてZ世代の誤解とリアル。「ビーリアルな、密着エスノ記」連載中。
