飲料業界の二大巨頭であるKIRINとサントリー。両社とも国内市場で強固な地位を築いていますが、事業ポートフォリオの管理と経営資源の配分において、まったく異なる戦略を採用してきました。筆者が長年マーケティングリサーチの現場で両社の戦略を追ってきた中で見えてきたのは、PPM(プロダクトポートフォリオマネジメント)の理論を実践する上での、選択と集中の考え方の根本的な差異です。
PPMとは何か
PPM(プロダクトポートフォリオマネジメント)とは、ボストン・コンサルティング・グループが1970年代に提唱したマネジメント手法で、縦軸に市場成長率、横軸に相対的市場占有率を置いて、自社の事業や商品がどこに位置するかを分析し、経営資源の最適配分を決定するフレームワークです。
事業は「花形」「金のなる木」「問題児」「負け犬」の4つの象限に分類されます。花形は市場成長率と市場シェアがともに高い事業、金のなる木は市場成長率は低いものの高い市場シェアを獲得している事業を指します。問題児は市場成長率が高いものの市場シェアが低い事業、負け犬は市場成長率・市場シェアのどちらも低い事業です。
短期的な収益確保と中長期的な成長のバランスを取りつつ、企業の成長戦略を支えるために不可欠な手法となっています。
KIRINの選択と集中戦略
事業ポートフォリオの機動的見直し
KIRINは発酵バイオテクノロジーを活かせる領域を事業ドメインとし、食と医薬の2本柱で事業展開してきましたが、2019年に長期経営構想「キリングループ・ビジョン2027」を策定したタイミングで、ヘルスサイエンス事業を3本目の柱としました。1990年代後半から企業価値は年平均で5%程度の成長を続けていますが、これは事業ポートフォリオ経営の成果です。
KIRINは1980年代から少子高齢化による課題を予測し、持続的ビジネス展開のために2つの方向で多角化を進めました。ひとつはグローバル化で海外企業への積極的な資本参加やM&Aで事業を拡大、もうひとつはビール製造で培った発酵とバイオテクノロジーの技術を活用した医薬事業やヘルスサイエンス領域への進出です。
撤退の決断力
KIRINの選択と集中を象徴するのが、収益性の低い海外事業からの相次ぐ撤退です。豪州の飲料事業は2007年と2008年に当時3780億円で豪1位と2位の乳業メーカーを買収したものの、計画していたコカ・コーラ・アマティルの買収が頓挫し、2010年度にのれん代388億円を減損処理、2019年には売却を決断しました。
ミャンマー事業では2015年に697億円を投じて株式を取得しましたが、2021年2月の軍クーデター後、人権問題を理由に撤退を決断し、約224億円で株式を売却、投資額の3分の1程度は回収のメドが立たないまま撤退しました。
中国清涼飲料事業についても2022年2月に撤退を発表し、保有する全株式を中国系投資ファンドに総額1150億円で譲渡しました。コア事業への投資に注力するためとし、キリンビール・キリンビバレッジ、海外でのクラフトビール事業からなる「食」、協和キリンが手掛ける「医薬品」、「ヘルスサイエンス」の3領域を今後のコア事業と位置付けました。
2022年から2024年の中期経営計画では、「食領域」の利益増大、「医領域」のグローバル基盤強化、「ヘルスサイエンス領域」の規模拡大の3つを軸に戦略を組み立て、ポートフォリオマネジメントの強化や投資の優先順位の明確化を通じ、経営資源を集中させる方針を掲げています。
サントリーの多角化戦略
やってみなはれ精神の体現
サントリーは1899年に「鳥井商店」として開業し、創業者・鳥井信治郎の口癖「やってみなはれ」精神が今でも受け継がれ、「やって失敗するよりも、やらないことが罪」という社風となっています。
ビール事業への進出は、初代社長・鳥井信治郞の言葉で2代目社長・佐治敬三が決意したもので、1963年の武蔵野工場竣工と『サントリービール』発売から始まり、当初は競合の定番商品を前に赤字が続きましたが、2005年に『ザ・プレミアム・モルツ』のモンド・セレクション最高金賞受賞を機に反転攻勢に転じました。
事業ポートフォリオの幅広さ
サントリーは世界の食品・酒類メーカーでは珍しく、清涼飲料・蒸溜酒・ビール・健康食品など、ビジネスモデルの異なる多様な事業を傘下に置くという特長を持っています。事業カテゴリー別の売上は、清涼飲料を含む食品が約6割、ウイスキーやビール、ワインなどを含む酒類が約3割、残りの約1割がその他事業です。
サントリーの事業の中で「金のなる木」に分類されるのはウイスキー事業で、作れば売れるといわれるほど高い利益を生み出しています。ビールは参入当初「問題児」でしたが、積極的に投資を続けることにより現在は「花形」に成長、清涼飲料水も市場の将来性があり、シェア率が高いことから「花形」に分類されます。
M&Aによる事業拡大
サントリーは1980年に米国ペプシ系ボトラーであるペプコム社のM&Aを皮切りに、1983年にフランス・ボルドーのシャトー・ラグランジュ社買収、1989年にスコッチウィスキーの名門モリソン・ボウモア・ディスティラーズ社買収と立て続けにM&Aを行い、現在の海外事業の基盤を構築しました。2014年には1.6兆円でアメリカのスピリッツ大手ビーム社を買収し、グローバルプレーヤーとしての決意を表明しました。
単一カテゴリー・少品種に特化して売上を伸ばしてきた「世界の巨人たち」に対して、サントリーは特徴的な事業ポートフォリオを活かして戦っています。カテゴリーのボーダレス化が進む環境下では「多様なカテゴリーにまたがる事業の知見を持つ」というサントリーの個性が活きてきます。
両社の戦略の本質的な違い
リスク許容度の差
KIRINとサントリーの戦略の違いは、リスクに対する姿勢に端的に表れています。KIRINは主力ブランドへの集中投資とクラフトビール事業への注力を掲げ、一番絞りや本麒麟などの主力ブランドの成長に投資を続けキリンブランドの地位確立を目指しています。一方で不採算事業からは迅速に撤退し、投資を回収できない場合でも損切りを躊躇しません。
サントリーは対照的に、どんなに開発に失敗したとしても、諦めずに挑戦し続けることを是とする社風を持ち、たとえ失敗したとしても挑戦を奨励する社風が企業に対して追い風になっています。ビール事業の長年の赤字を許容し続けた結果、最終的には「花形」事業へと育て上げました。
ガバナンス構造の影響
サントリーは非上場で、その89.3%を寿不動産という鳥井・佐治両創業家の資産管理会社が保有しており、完全な「オーナー経営」です。これに対してKIRINは上場企業であり、株主への説明責任が求められます。
この構造の違いが、両社の戦略の違いを生み出す根本要因となっています。オーナー経営のサントリーは長期的視点で赤字を許容できますが、上場企業のKIRINは四半期ごとに業績をチェックされるため、不採算事業を長く抱え続けることが困難です。
PPM実践における優先順位
KIRINは定性調査や市場分析を通じて、事業を定期的に4象限に分類し、「負け犬」と判断した事業からは撤退、「問題児」への投資判断を厳格に行います。短期的な収益性を重視し、金のなる木で得た利益を確実に回収できる見込みのある問題児にのみ投資します。
サントリーは問題児の段階であっても、市場の将来性と自社の技術力を信じて長期投資を継続します。ビール事業は40年以上にわたって問題児の状態が続きましたが、撤退せずに投資を継続した結果、現在では花形事業となりました。
市場環境の変化と戦略の有効性
国内市場縮小への対応
少子高齢化による国内市場の縮小という共通課題に対し、両社は異なるアプローチを取っています。サントリーは「2位を追うわけではなく、大手とは違うことをやる。新しい提案をすれば市場はつくれる」として、市場環境の変化に合わせた新製品開発を重視し、2023年4月に販売した「サントリー生ビール」は販売数量が当初計画を3割上回り、大手4社の中で最も伸び率が高くなりました。
KIRINは国内市場での地位強化と同時に、海外市場への進出を図りましたが、結果的に多くの海外事業から撤退を余儀なくされました。この経験を踏まえ、現在は国内のコア事業と医薬・ヘルスサイエンスという成長領域への集中投資にシフトしています。
新規事業開拓の成否
キリンはノンアルコールビール市場において、2009年4月に世界初となるアルコール0.00%の「キリンフリー」を発売し、市場を開拓しましたが、その後サントリーに追い抜かれました。先行者利益を確保できなかったこの事例は、市場創造だけでは不十分で、継続的な投資とマーケティング活動が必要であることを示しています。
サントリーは後発でありながら、「サントリーリンク」というシステムを開発し、販売店や流通状況などを確認できるようにして、店舗ごとのユーザー動向を可視化し、その傾向やデータを自社のマーケティングに活かしています。このデータドリブンなアプローチが、後発でも市場で優位に立つ要因となっています。
実務への示唆
自社に適したPPM運用の選択
両社の事例から学べるのは、PPMの理論を一律に適用するのではなく、自社の組織特性、財務状況、ガバナンス構造に応じてカスタマイズする必要があるということです。
上場企業で株主への説明責任が求められる場合、KIRINのように明確な基準で事業を評価し、不採算事業からの撤退判断を迅速に行う必要があります。一方、オーナー企業や非上場企業であれば、サントリーのように長期的視点での投資継続が可能です。
撤退基準の明確化
KIRINの海外事業撤退の事例が教えるのは、投資判断と同様に撤退判断の基準を事前に明確化しておく重要性です。ミャンマー事業では人権問題という外部要因、豪州事業では収益性の問題という内部要因が撤退の理由となりましたが、いずれも損失を最小化するための迅速な決断が求められました。
デプスインタビューや市場調査を定期的に実施し、事業環境の変化を早期に察知する仕組みが必要です。
シナジー効果の考慮
PPMには事業間のシナジーが考慮されない、現時点での市場成長率や自社の相対市場シェアでしか評価しないなどの問題が指摘されています。サントリーの事業ポートフォリオの強みは、まさにこのシナジー効果にあります。
ウイスキーで培った技術がビールに活かされ、清涼飲料のマーケティングノウハウがアルコール飲料にも応用されています。PPM分析を行う際には、単独の事業評価だけでなく、他事業との相乗効果も考慮に入れる必要があります。
まとめ
KIRINとサントリーのPPM戦略の違いは、選択と集中の徹底度合いに表れています。KIRINは厳格な基準で事業を評価し、コア事業への集中投資と不採算事業からの撤退を迅速に実行します。サントリーは多角化を維持しながら、長期的視点で問題児を花形へと育て上げる戦略を取ります。
どちらの戦略が優れているかという問いに絶対的な答えはありません。企業のガバナンス構造、財務状況、組織文化、市場環境によって最適な戦略は異なります。重要なのは、自社の特性を正確に把握し、それに適したPPM運用を設計することです。
両社の事例は、PPM理論を実践する上での教科書ともいえる対照的なアプローチを示しています。筆者の経験では、多くの企業が理論と実践のギャップに悩んでいますが、KIRINとサントリーの戦略を参考にすることで、自社に適した事業ポートフォリオ管理の方向性が見えてくるはずです。
マーケティングリサーチの現場でも、フォーカスグループインタビューなどを通じて顧客ニーズを深く理解し、それを事業ポートフォリオの意思決定に活かすプロセスが求められています。理論と実践、データと直感、短期と長期のバランスを取りながら、自社独自の戦略を構築していくことが、これからの企業経営には不可欠です。
この記事を書いた人

石崎 健人 | 株式会社バイデンハウス マネージング・ディレクター
リサート所属モデレーター。外資系コンサルティング・ファーム等を経て現職。バイデンハウスの消費財、ラグジュアリー、テクノロジー領域のリーダーシップ。生活者への鋭い観察眼と洞察力を強みに、生活者インサイトの提供を得意とする。2022年より株式会社バイデンハウス代表取締役。2025年よりインタビュールーム株式会社(リサート)取締役。アドタイにてZ世代の誤解とリアル。「ビーリアルな、密着エスノ記」連載中。
