コトラー派とシャープ派に分かれる実務者が知るべき3つの統合視点

マーケティング界を二分する論争の正体

フィリップ・コトラーかバイロン・シャープか。この問いに対して、筆者は過去数年、実務の現場で幾度となく相談を受けてきました。

2010年にバイロン・シャープの著書が出版されて以来、マーケティングの実務家や研究者の間で最も激しい議論を巻き起こしているのが、コトラーに代表される伝統的マーケティングと、シャープ率いるアレンバーグ・バス研究所が提唱する科学的マーケティングという二つのパラダイムの対立です。この対立は理論的な学術論争にとどまらず、現場のマーケターが日々向き合う意思決定に直結しています。

初版から10年以上たった今でも、結局誰の言っていることが正しいのか、こうした対立を実務の中でどう調和させていくのか、自社のカテゴリーにはどの理論があてはまるのかという問いが絶えません。

筆者自身、マーケティングリサーチの現場でこの問題に向き合ってきました。ある企業では綿密なデプスインタビューを通じてターゲット顧客のニーズを深く掘り下げた結果、期待した成果が出ず、別の企業では大規模なマス施策で認知を高めた結果、ブランドの意味が薄れてしまった経験もあります。

コトラー派の世界観と実務への影響

フィリップ・コトラーはマーケティングの神様、近代マーケティングの父などと呼ばれるマーケティング界の第一人者です。1931年にシカゴで生まれ、2022年時点で91歳ですが、今でもマーケティング界の第一線で活躍しています。

コトラー理論の根幹はSTP理論にあります。市場を切り分け、適切なターゲティングを行い、有効なポジションを探るというもので、突き詰めると顧客ニーズの理解というところに収斂されます。STP分析とは、Segmentation、Targeting、Positioningの3つの観点の頭文字をとったもので、市場を細分化し、参入する市場を選定し、自社と他社の位置関係を把握するプロセスです。

コトラーのアプローチは顧客を深く理解し、セグメンテーションによってニーズを個別化し、差別化された価値提案を通じてブランドロイヤルティを構築するという考え方に基づいています。1970年代から1980年代のマーケティング2.0では消費者志向が重視され、消費者のニーズを満たすことで製品を選んでもらう必要が出てきました。

実務への影響は計り知れません。多くの企業がペルソナを設定し、綿密な定性調査を実施し、ターゲット顧客の心理を深く掘り下げます。筆者も数え切れないほどの企業でこのアプローチを支援してきました。

バイロン・シャープ派のエビデンス主義

バイロン・シャープは南オーストラリア大学アレンバーグ・バス研究所のマーケティングサイエンス教授兼ディレクターを務める現代マーケティング論において非常に重要な人物です。コトラーなどのマーケティング主流派に異を唱え、従来のマーケティング理論や常識を検証し、新しい視点からマーケティングやブランドの育成方法を提案しています。

シャープは購買データ分析や統計的視点を軸に、ライトユーザーの大量獲得がブランド成長に不可欠であり、差別化より際立ち(Distinctiveness)、可用性(Availability)の最大化が重要だと主張しています。

シャープ氏によるとパレートの法則は実は80:20ではなく60:20程度で、20パーセントのお客が全体の60パーセントの売り上げをもたらしているとされます。顧客基盤が大きいブランドは、ライトユーザーがミドルユーザーになり、さらにヘビーユーザーになる可能性が大きいのです。

メンタルアベイラビリティはブランドが購買シーンにおいて想起されやすいこと、フィジカルアベイラビリティは商品やサービスが物理的に購入しやすい状態を指します。シャープは今日の一流ブランドの大部分を成長させたのはCRMやリレーションマーケティングではなくマスマーケティングであったと主張します。

筆者がこの理論と出会ったとき、現場で感じていた違和感の多くが言語化されました。精緻なターゲティングをしても実際の購買者層は広がり、ロイヤルティ施策に多額の投資をしても売上は思ったほど伸びない。データが示す現実は、理論と異なっていたのです。

二項対立を超える3つの実務的視点

ではどちらが正しいのか。この問いに対する筆者の答えは、二者択一ではないということです。両理論の大きな違いはその視点がどこにあるかで、コトラーはセグメンテーションやターゲティングによるニーズの個別化を重視し、シャープは市場全体にどれだけリーチできるかを重要視しています。

実務で使える統合視点を3つ提示します。

視点1:市場環境とブランドステージによる使い分け

戦略を時系列に区切るやり方があり、バイロン・シャープ型施策を導入期や成長期でしっかり行い、そのあとロイヤリティ戦略で深堀りする方法が考えられます。筆者が支援したスタートアップでは、初期はマス向けの認知施策に集中し、一定の市場浸透率を達成した後にコミュニティ育成に移行して成功しました。

新規市場や認知が低いブランドでは、シャープ的アプローチが有効です。逆に成熟市場で既に高い認知を持つブランドでは、コトラー的な深堀りが効果を発揮します。筆者が関わった老舗企業では、既存顧客のデプスインタビューから新たな価値軸を発見し、リポジショニングに成功した事例があります。

視点2:指標とKPIの明確な優先順位設定

ロイヤル顧客数の増加なのかライトユーザー数の拡大なのか、どちらを最優先するかを先に明確化する必要があります。ロイヤリティ施策とライトユーザー獲得施策を同時に全力投球しようとすると、広告費や人員リソースが二分され、どちらも中途半端になる可能性があります。

筆者が関わったある消費財メーカーでは、マーケティング部門はリーチ最大化を、カスタマーサクセス部門はLTV向上を目指し、社内で対立が生じました。経営陣が短期的にはリーチ拡大、中期的にはロイヤルティ向上と明確に優先順位を示したことで、組織が一つの方向に動き出しました。

視点3:定性と定量の両輪による意思決定

コトラー的アプローチは定性調査に強く、シャープ的アプローチは定量調査に強い。この両方を組み合わせることで、筆者は最も確度の高い意思決定ができると考えています。

カテゴリーのヘビーユーザーとライトユーザーなら、リピートしやすいのはライトユーザーであり、成長中の新しいブランドと衰退気味のレガシーブランドなら、購入意向が高く出るのはレガシーブランドです。このような反直感的な事実は定量データでしか見えません。

一方で、なぜその行動をとるのか、どのような文脈で購買が起きるのかは、デプスインタビューエスノグラフィー調査でしか捉えられません。筆者が支援したある飲料メーカーでは、定量データでライトユーザーの重要性を把握し、定性調査で彼らの購買トリガーを発見し、効果的な施策につなげました。

リサーチ実務者が現場で直面する判断基準

筆者の経験から、インタビュー調査を設計する際にこの論争は具体的な判断に影響します。

ターゲット設定の際、コトラー派であれば厳密なスクリーニングでコアターゲットのみを対象にします。しかしシャープはSTP理論を顧客基盤が類似する法則を基に批判し、ブランド側が設定したターゲット層にだけ商品が売れることはないことを示しています。筆者は最近、意図的にライトユーザーも含めた幅広い層から対象者を募集し、購買行動の全体像を把握するアプローチを取ることが増えました。

インタビューフローの設計でも違いが出ます。コトラー派的には深い心理的ロイヤルティやブランド愛を掘り下げますが、シャープはロイヤルティなど存在しないと言っているわけではなく、私たちの大半はお気に入りのリストを持っていて前に買ったことのあるブランドに何度も立ち戻ると指摘します。筆者は、感情的な愛着だけでなく、想起のきっかけや購買の文脈を丁寧に聞くようになりました。

デブリーフィングの場でも、この視点の違いは重要です。クライアントがコアターゲットへの深い洞察を求めているのか、市場全体への浸透戦略を求めているのかで、提示すべきインサイトの粒度が変わります。

実践例:ある食品メーカーの統合アプローチ

筆者が関わったある食品メーカーの事例を紹介します。同社は健康志向の高い30代女性をターゲットに新商品を開発しましたが、初年度の売上は計画の60パーセントにとどまりました。

徹底的な定性調査定量調査を実施した結果、発見したのは次の事実でした。実際の購買者は想定ターゲットだけでなく、40代男性や20代学生まで幅広く、彼らの多くは健康への強いこだわりではなく、たまたま店頭で目に留まったから買ったというライトユーザーでした。

そこで戦略を転換しました。フェーズ1では、店頭での視認性向上とマス広告による認知拡大に集中し、メンタル・フィジカル両面のカスタマージャーニー接点を増やしました。フェーズ2で、一定の市場浸透率を達成した後、コアターゲットへの深いコミュニケーションとロイヤルティ施策に移行しました。

結果として、2年目には当初計画を上回る売上を達成し、3年目にはカテゴリートップ3に入りました。この成功の鍵は、二つの理論を対立させるのではなく、フェーズに応じて使い分けたことにあります。

調査設計における実務的な落とし込み

では具体的に調査設計でどう落とし込むか。筆者が実践している方法を紹介します。

アンケート調査では、ブランド認知や想起、購買頻度といったシャープ的指標と、ブランドへの態度やロイヤルティといったコトラー的指標の両方を測定します。市場浸透率という指標をシャープ氏は重視しており、1年間にこのブランドを1回でも使ったことのある世帯の割合です。筆者は、この浸透率と購買頻度、さらにはブランド愛着度を同時に把握することで、全体像を捉えるようにしています。

デプスインタビューでは、ヘビーユーザーだけでなく、ライトユーザーや非購買層も含めます。シャープ的にはビッグなブランドは顧客基盤が大きいので、ライトユーザーがミドルユーザーになり、さらにヘビーユーザーになる可能性があるため、ライトユーザーの実態把握が重要です。一方でコトラー的には、コアターゲットの深い理解も不可欠です。両方を設計に組み込むことで、バランスの取れた洞察が得られます。

フォーカスグループインタビューでも同様です。あるセッションではブランド愛好者を集めて深い絆を探り、別のセッションでは幅広い購買者を集めて想起のきっかけや購買文脈を探ります。

どちらかではなく、どう使うか

コトラーかシャープか。この問いに対する筆者の答えは明確です。どちらが正しいかではなく、どう使うかが重要なのです。

江崎グリコの加藤氏はP&G時代にバイロン・シャープの理論に出合い、モデル構築の参考にしていたと述べています。実務の最前線にいる優れたマーケターは、理論を教条的に信じるのではなく、自社の状況に応じて使い分けています。

筆者が支援する企業には、必ず次の3つの質問をします。今、あなたのブランドはどのステージにあるのか。優先すべき指標は何か。定性と定量、両方のデータを見ているか。

この質問に明確に答えられる企業は、理論の対立に惑わされることなく、成果を出し続けています。マーケティングは科学であると同時にアートでもあります。データに基づく意思決定と、顧客への深い共感。この両輪がそろったとき、初めてブランドは成長します。

コトラーとシャープ。この二人の巨人が示した道は、対立するものではなく、補完し合うものです。実務者である筆者たちに求められるのは、どちらかを選ぶことではなく、両方の知見を統合し、目の前の顧客と市場に最適な戦略を描くことです。

この記事を書いた人

石崎 健人 | 株式会社バイデンハウス マネージング・ディレクター
リサート所属モデレーター。外資系コンサルティング・ファーム等を経て現職。バイデンハウスの消費財、ラグジュアリー、テクノロジー領域のリーダーシップ。生活者への鋭い観察眼と洞察力を強みに、生活者インサイトの提供を得意とする。2022年より株式会社バイデンハウス代表取締役。2025年よりインタビュールーム株式会社(リサート)取締役。アドタイにてZ世代の誤解とリアル。「ビーリアルな、密着エスノ記」連載中。