顧客理解の要素〜内面化を洞察に繫げる〜:顧客理解の「問い直し」から始めよう③

顧客理解の「問い直し」から始めよう③

前回の復習:顧客理解と内面化

前回は、顧客理解において、顧客のファクトをもとに内面化することの重要性に触れました。

念のためもう一度説明しますと、ここで言う内面化とは、「相手の経験や心情を、自身の経験が詰まった『引き出し』に紐づけて、我がことのように感じる」ことを指します。

そこまでして、初めて「顧客理解」たり得るという話をしました。

ただし、自分の行った内面化が、実際の相手の心情とズレている可能性は当然あります。今回はそのことからお話をはじめましょう。

前回はこちらから

ズレた「内面化」を防ぐための「ファクト」

このコラムにおける内面化の定義は先述の通りですが、これは「間違った理解」になる可能性を必ず伴います。なぜなら、マーケティングリサーチにおいては、自分とは違う他者の行為を、自分の主観で解釈しなければならないからです。

そのズレを最小限にとどめるために必要なのが「正確なファクト」です。
単に定量調査定性調査で取得したファクトだけでは理解には届きませんが、ファクトなしの内面化もまた、理解からはほど遠い。

余談ですが、私は小学校のときに先生から濡れ衣を着せられ、叱られた経験があります。そのときの戸惑いと怒りは、今でもはっきりと記憶に残っています。「指導」の最後には、いかにも「自分は理解者だ」という体で話を進めてきて、フォローのつもりだったのでしょうが、かえって不信感が倍加しました。まずは事実を正しく認識しろよと。

話を戻します。

ファクトをベースに内面化する。そして、内面化したことがファクトに照らし合わせて正しいかを確認する。そのうちに新しいファクトが判明することもあるでしょう。

この誠実な繰り返しが、内面化のズレを最小化していきます。

内面化と「洞察」

相手を理解するための「ファクトと内面化」の繰り返しについて、以前お話しした意中の相手へのプレゼントの例に戻ります。

意中の相手に対するプレゼントの自問自答のプロセス

  1. ◯◯というファクトから、あの人が××を好んでいるらしい
  2. 私も××が好きだから、その気持ちはわかるし、覚えがある
  3. だからプレゼントは××に関連したものにすれば喜んでくれるだろう
  4. いや、△△という別のファクトに照らし合わせると違う気がする
  5. であれば××が好きなのではなく、⬜︎⬜︎が好きなのではないか
  6. 確かに、そう考えれば前より色々と納得がいく…

意中の相手に対するプレゼントを選ぼうとすると、このような自問自答の繰り返しです。

これを抽象化しますと、顧客理解とは以下の流れと言えます。

顧客理解における内面化の思考プロセス

  1. ファクトを認識する
  2. 自分の「引き出し」と繋げ、内面化する
  3. 初期仮説を立てる
  4. 別のファクトで揺り戻される
  5. 再び内面化し、新しい仮説を立てる
  6. 以前の仮説よりも腑に落ちる

「『覚えがある』と感じたことの検証と更新のプロセス」と言い換えることもできるでしょう。その結果、他者の心の形が少しずつ、より洗練されたリアルなものとして把握されていく。

まとめると「ファクトと内面化を往復しながら、相手の人格を自分の中につくり上げていく作業」と表現できます。この往復のプロセスこそが、私の言う「洞察」です。

これは「なんとなくそんな気がする」といった直感や野生の勘とはまったく別物の、誠実な思考プロセスです。

ちなみに、洞察力を磨くと「直感力」ならぬ「直観力」が身につきます。
「直感」とは突然湧いてくるインスピレーションといった意味合いが強いですが、「直観」はそれとは異なり、洞察の末に得られる結果が突然立ち上がってくる状態を指します。

あなたのまわりに顧客理解力に富んだ方がいるとしたら、おそらく直感ではなく直観の鋭い方で、その方はこの「洞察」を絶え間なく行っているのではないかと思います。

顧客理解のあるべき姿:相手を理解した状態とは?

しっかりした洞察を行うと、「自分の中に、感情の伴ったリアルな相手の人格をつくりあげ、住まわせている」ような状態に行き着きます。自分の中に、相手の人格モデルができあがっていく感覚です。ここではこれを「擬似人格」と呼びます。

こうなると、あるファクトや仮説について、その人格を通してものを見て、感じることができるようになります。

「自分(主人格)はこう思うけれど、あの人になりきった状態(擬似人格)で考えると、どうだろうか?」という状態です。

漫画「葬送のフリーレン」には「勇者ヒンメルならそうしたってことだよ」というセリフがありますが、ご存じの方はそれをイメージするとわかりやすいと思います。
補足しますと、これは主人公が仲間を気遣う際のセリフです。自分の中にいるヒンメルなら、必ずそうするだろうと…。

つまり、顧客理解にあてはめますと「自分の中にリアリティある顧客の人格を持つ」ことになります。「自分の中に顧客の人格を住まわせる」と言い換えてもいいでしょう。
これが「顧客理解した状態」です。

また、相手のことを本当に理解したいと真剣に真摯に考えるほど、自分の主人格と擬似人格の間で、より深く、より頻繁に「対話」が行われます。

これはつまり、先述した「洞察」が、擬似人格の形成後にも続くことを意味しています。
「ファクトと内面化の繰り返し」は、どんどん「擬似人格と、ファクトを突きつける主人格との対話」という色彩を帯びていく、ということです。

洞察して辿り着いた仮説でも、何かモヤモヤすることはありませんか?
端的に「気持ち悪い」という表現をする人もいますね。

このような状態のときに、主人格が擬似人格に「本当か?」「もう一度、ファクトを洗い直そうよ」などと問いかけて、そのモヤモヤの正体を突き止めようとしていきます。

相手に直接問い合わせができれば、それに越したことはありません。
しかし、自分を好きになってもらいたくてプレゼントを選ぶときに「何が欲しい?」「××をプレゼントしようと思っているけれど、合っている?」などとなかなか尋ねられませんよね。

また、尋ねたところで、正確な答えが返ってくるとは限りません。人間は自分の欲しいものを正確に認識・言語化できるとは限らないからです。
これはマーケティングリサーチを学ぶときに必ず教わることだと思います。

だから、自分の主人格と擬似人格で対話を重ねながら、自分の仮説の確からしさを検証していきます。
この内なる対話の積み重ねこそが、「理解を深める」ということです。

では、そのような「内なる対話」が十分に積み重なると、人の中では何が起きるのでしょうか。

顧客理解:顧客への「肌感覚」について

深く顧客理解した状態のことを、マーケティングやマーケティングリサーチの界隈では「なりきり」や「憑依」という言葉で表現する人もいます。後者は、あたかも顧客の意識が自分に乗り移ったような状態、ということですね。

これは、顧客に関する「肌感覚」を身につけた状態とも言えます。
あることに対する顧客の反応が、特にデータを見なくても概ね正確に予測できる人は身近にいませんか。そういう人のことを「肌感覚が鋭い」などと表現しますね。

肌感覚を理解するため、身近な例に戻ります。意中の相手へのプレゼントの話を、もう一度考えてみましょう。

今回は、あなたにライバルが出現したシチュエーションです。ライバルは、あなたと同じようにプレゼントを考えていました。

その人のプレゼントを見た瞬間に湧き上がる「やられた!」、あるいは「勝った!」という気持ち。

これが、意中の相手に関するあなたの「肌感覚」です。
そのプレゼントが、自分のものと比べて意中の人にどれほど刺さるのか。答えを確認する前に、もうその答えが見えてしまう感覚を持てています。

それは、あなたが意中の人を真摯に理解しようと、洞察を繰り返したからこそ身につけられたことです。

なお、これが先述の「直観」が働いた状態と同じであること、もうお分かりでしょう。

ちなみに、子供の頃に「相手の立場でものを考えなさい!」「自分がされる側なら、どう思うのか!」などと言われた思い出がある方もいると思います。

ここまで書いてきた顧客理解、他者理解の内容は、実はその主張と大して変わりません。
ただ、「相手の立場でものを考える」ことを分解して記述した点が異なります。

私自身、「相手の立場でものを考える」ことを苦手としていました。他の人に比べて、まわりの人に関する「肌感覚」が明らかに鈍い人間でした。「空気が読めない」と、言外に呆れた視線を向けられた経験は数え切れません。

私は、このように分解してひとつひとつ潰していくことでしか、対処できませんでした。
今でも、このようなことを意識せずできる人を、心底羨ましいと思います。

でも、できない人には、できない人なりのアプローチがあります。
いまできないことで諦める必要は全くない。それが伝われば嬉しいです。

顧客理解に「共感」は必要か?

洞察の結果として形成した相手の擬似人格に、強く共感することもあると思います。
ですが、マーケティングリサーチにおいては「共感は必須ではない」というのが、私の立場です。
洞察の精度が高いことが前提になりますが、共感は「あるに越したことはないが、なくても機能する」ものだと考えています。

この場合の「共感」とは、擬似人格の人物像や感情を主人格が強く同意・肯定し、大なり小なり思い入れを持つ状態と言えるでしょう。しかし、正確な洞察をしても、まったく共感できないことはあるはずです。(あるいは、正確な洞察をしたからこそ、共感できない、ということもあります。)

先述の失恋した例を挙げます。失恋の原因がその人自身の浮気で、相手に愛想を尽かされたのだとしたら…やはり、共感を覚える人は少なくなると思います。
人によっては認めがたいかもしれませんが、その人が失恋して受けた心の痛みは本物でしょう。「心の痛み」はリアルに想像できても、その「原因」を考えると「それは自業自得では?」と言いたくなるような状況です。

一方で、その人に特に過失のない状況であれば、共感しやすいと思います。

共感は、その人の価値観などに強く根差していますから、無理にしようとすると逆に歪みが出てしまい、洞察を曇らせる結果にもなりかねません。例えば、自分の持つ倫理観に反して共感しようとするのは無理がありますし、強引に共感しようとすると、自分の主人格が倫理観を失ってしまうことすらあり得ます。

だから、「共感できないものに無理に共感はせず、ただ冷徹に洞察を遂行する」という立場が良いと考えます。

ただ、先ほどの浮気のような例でも、「実は自分の中にもそのような欲望があるのではないか」と考えることは、洞察を深める上では役に立ちます。経験として自分の引き出しになくても、自身が押さえつけている負の面や認めがたい点に気づき、見つめることは、自分には理解しがたい他人を理解するには必要なプロセスとすら言えるのではないでしょうか。

なぜなら、顧客は必ずしも「自分が理解したい人」であると言えないからです。

次回予告

今回の話から、顧客理解は本来、誰でもできるもの誰でも普段から気が付かないうちにしていることと思っていただけたと思います。その感覚自体はぜひ大事にしてください。

しかし、現実には「顧客理解は難しい」側面があります。
でなければ、顧客理解が後回しにされたり、ファクト収集を顧客理解とする誤解が蔓延している現状に理由がつきません。

次回は、なぜ顧客理解が難しいのかについてお話しします。どうすればそれを打破できるのか、ぜひ一緒に考えましょう。

寄り道:主観と客観について

今回、主観と客観について少し述べましたが、私はマーケティングリサーチにおいて「主観」が悪だとはまったく思いません。
どちらかというと「客観」という言葉のほうが、あたかも一般的な答えがあるといった誤解を招きやすいとすら考えています。

定量調査定性調査などのマーケティングリサーチは「客観的なデータを手に入れる」よりも「自分の主観を他者の主観に諮る」行為であると考えたほうがいい、という立場を取っています。私にとって「客観」とは、その「他者の主観の集合体」を指す言葉です。

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この記事の監修者

石崎 健人 | 株式会社バイデンハウス マネージング・ディレクター
リサート所属モデレーター。外資系コンサルティング・ファーム等を経て現職。バイデンハウスの消費財、ラグジュアリー、テクノロジー領域のリーダーシップ。生活者への鋭い観察眼と洞察力を強みに、生活者インサイトの提供を得意とする。2022年より株式会社バイデンハウス代表取締役。2025年よりインタビュールーム株式会社(リサート)取締役。アドタイにてZ世代の誤解とリアル。「ビーリアルな、密着エスノ記」連載中。

この記事を書いた人

山本  寛 | マーケティング・リサーチャー
リサート所属。1975年生まれ。新卒入社の株式会社オリエンタルランドで2009年よりマーケティングリサーチャーのキャリアを歩み始める。その後、人材紹介のパーソルキャリア株式会社、株式会社ディー・エヌ・エーにリサーチャーの専門職として在籍。また、2020年から個人としても複数社を支援中。2025年より桜美林大学非常勤講師。事業会社側のリサーチャーとして、アンケート調査・インタビュー調査・観察調査など複数の手法を組み合わせて顧客インサイトを見出している。