新規事業の立ち上げで最も危険なのは、思い込みだけでプロジェクトを進めてしまうことです。筆者はこれまで多くの企業が「素晴らしいアイデアだ」と確信して開発に投資したものの、市場に出した瞬間に誰からも求められず、撤退を余儀なくされる現場を見てきました。
実際、アビームコンサルティングによる調査では、事業化フェーズに進んだテーマのうち黒字化を達成しているのはわずか14.7%に過ぎません。優秀な人材が集まる大手企業やスタートアップでも、顧客ニーズの見誤りによる失敗は後を絶ちません。
この差を生むのが、マーケティングリサーチの活用精度です。新規事業開発において、調査は単なる情報収集ではなく、事業の成否を分ける意思決定の武器になります。本記事では、事業フェーズごとに何を調べ、どう判断すべきかを実務視点で解説します。
新規事業開発におけるマーケティングリサーチとは
新規事業開発におけるマーケティングリサーチとは、市場の不確実性を計画的に減らし、顧客に求められる事業を構築するための調査活動を指します。既存事業のリサーチとは性質が大きく異なり、「まだ存在しない価値」を検証する点に特徴があります。
新規事業では、顧客自身も気づいていない潜在ニーズを探り当てる必要があります。そのため表面的なアンケートだけでは不十分で、デプスインタビューや行動観察といった定性調査を組み合わせながら、顧客の本音に迫る設計が求められます。
リサーチの目的は大きく2つに分かれます。ひとつは「仮説の構築」です。事業アイデアの初期段階では、誰のどんな課題を解決するのかが曖昧なケースが多く、定性調査を通じて顧客の実態を掴み、仮説を立てる作業が不可欠です。
もうひとつは「仮説の検証」です。ある程度の方向性が固まった段階では、その仮説が市場で通用するかを確かめる必要があります。ここでは定量調査を活用し、ニーズの規模感や購買意向を数値で裏付けることが重要です。
新規事業のリサーチで注意すべきは、調査対象者の選定精度です。ターゲット層を誤ると、どれほど丁寧に調査しても無意味なデータしか得られません。ペルソナを明確にし、実際にその属性を持つ人々から情報を集める設計が成功の鍵を握ります。
なぜ新規事業開発にマーケティングリサーチが必要なのか
新規事業は既存事業と比べて圧倒的に不確実性が高く、失敗時のダメージも大きくなります。だからこそ、思い込みではなく事実に基づいた意思決定が求められます。マーケティングリサーチは、その「事実」を手に入れる唯一の手段です。
多くの新規事業は、社内で練り上げた企画書の完成度が高いほど、現場での検証を怠る傾向があります。しかし、どれほど論理的なフレームワークを用いても、顧客の実態を確かめなければ机上の空論に過ぎません。
リサーチを実施する最大の意義は、失敗を未然に防げる点にあります。初期段階で顧客ニーズを見誤ると、開発コストや人材、時間といったリソースを無駄にするだけでなく、組織全体の士気低下を招きます。撤退判断も遅れれば、被害はさらに拡大します。
また、リサーチは成功確率を高めるだけでなく、事業のスピードも向上させます。仮説を明確にして検証対象を絞ることで、何を優先すべきかが見えやすくなり、無駄な議論や迷いが減るからです。
さらに、顧客の声を直接聞く過程で、当初想定していなかった新たな市場機会を発見できる場合もあります。インタビュー調査では、顧客自身が言語化できていない潜在ニーズが浮かび上がることが多く、そこから独自性の高い事業アイデアが生まれるケースも少なくありません。
新規事業開発でよくあるリサーチの失敗パターン
新規事業のリサーチでは、実施すること自体が目的化してしまい、かえって間違った判断を導くケースが頻発します。筆者が現場で目にしてきた典型的な失敗パターンを紹介します。
調査対象者の設定ミス
最も多い失敗は、ターゲット層を正確に絞り込めていないまま調査を実施してしまうことです。たとえば「20代女性」といった大雑把な設定では、ライフスタイルも価値観もバラバラな人々が混在し、結果として何の示唆も得られません。
新規事業では「誰に届けるか」が曖昧な状態でスタートすることが多いため、リサーチ前にペルソナの仮説を立てる作業が不可欠です。職業、年収、居住地、日常の行動パターンまで具体的に想定し、その条件に合致する人を対象にすることで、初めて有意義なデータが集まります。
誘導的な質問設計
事業企画者が「このアイデアは絶対に良い」と信じ込んでいる場合、無意識のうちに回答を誘導する質問を設計してしまいます。「このサービスがあれば便利だと思いませんか」といった聞き方は、ほぼ確実にポジティブな回答を引き出しますが、実際の購買行動とは結びつきません。
重要なのは、顧客の現状の課題や行動を中立的に聞き出すことです。「現在その課題にどう対処していますか」「それに対してお金を払っていますか」といった事実ベースの質問を重ねることで、本当のニーズが見えてきます。
購買意向の過大評価
アンケートで「このサービスを使いたいですか」と尋ね、2割が「使いたい」と回答したからといって、実際に2割が購買するわけではありません。口で言うのと実際に財布を開くのは全く別の行動です。
この誤解によって、市場規模を過大に見積もり、多額の投資をした結果、ほとんど売れずに終わるケースは枚挙にいとまがありません。購買意向だけでなく、「いくらなら買うか」「どこで知ったら買うか」「代替手段と比べてどう感じるか」といった具体的な行動レベルまで掘り下げる必要があります。
定量調査だけで判断する危険性
数値は説得力があるため、経営層への報告資料として定量調査の結果だけを用いたくなります。しかし、数字だけでは「なぜそう思うのか」「どういう文脈でそのニーズが生まれるのか」が分かりません。
新規事業では、顧客理解の深さが成否を分けます。フォーカスグループインタビューや個別のヒアリングを通じて、数字の背景にある顧客の生活実態や価値観を掴むことが、独自性のある事業設計につながります。
事業フェーズ別のマーケティングリサーチ活用法
新規事業開発は段階ごとに抱える課題が異なるため、リサーチの目的と手法も変える必要があります。ここでは、初期探索から事業化判断まで、フェーズごとの実践的なアプローチを解説します。
初期探索フェーズ:領域選定と仮説構築
事業領域が定まっていない初期段階では、まず「どこに事業機会があるか」を見極める必要があります。この段階で独自調査に多額のコストをかけるのは得策ではありません。業界レポートや公的統計といった二次データを活用し、市場規模や成長性、業界構造を素早く把握します。
並行して、ターゲット候補となる顧客層への簡易的なヒアリングを実施します。ここでの目的は仮説を固めることであり、まだ本格的な検証段階ではありません。5〜10人程度のデプスインタビューでも、顧客の課題構造や価値観の輪郭は見えてきます。
事業企画フェーズ:顧客理解とコンセプト検証
「誰にどんな価値を提供するか」を具体化する段階では、顧客インタビューを徹底的に実施します。筆者の経験では、この段階で最低15人、できれば20人以上に話を聞くことで、再現性のあるニーズパターンが見えてきます。
インタビューでは、顧客の現在の行動を時系列で追い、課題が発生する文脈を詳細に把握します。「どんなときに困るか」「今はどう対処しているか」「その対処法に満足しているか」といった問いを重ねることで、解決すべき本質的な課題が明らかになります。
ある程度コンセプトが固まった段階では、簡易的なプロトタイプやストーリーボードを見せながら反応を確認します。ここで重要なのは、「良いと思うか」ではなく「実際に使うか」「お金を払うか」という行動レベルでの検証です。
検証フェーズ:市場規模とビジネスモデルの確認
事業化の判断に向けては、アンケート調査を用いた定量検証が必要です。ターゲット層の規模、購買意向の分布、価格感度といった数値データを収集し、事業の成立可能性を判断します。
この段階での調査設計では、サンプルサイズの設定が重要です。統計的に意味のある分析を行うためには、最低でも数百サンプルが必要であり、セグメント別に分析する場合はさらに多くのサンプルが求められます。
また、競合との比較検証も欠かせません。既存の代替手段と自社のコンセプトを並べて提示し、どちらが選ばれるかを確認することで、実際の市場での勝算を見極められます。
ローンチ前フェーズ:MVP検証と改善
最小限の機能を持ったMVPを作成し、実際に使ってもらいながらフィードバックを集めます。ここでの調査は、ユーザーテストや行動観察が中心になります。エスノグラフィー調査を取り入れ、利用シーンを観察することで、想定外の課題や改善点が見つかることも多くあります。
フィードバックは定性・定量の両面から収集します。利用後のインタビューで詳細な意見を聞きつつ、利用頻度や継続率といった行動データも分析し、事業性を総合的に判断します。
新規事業リサーチを成功させる実践ポイント
調査手法を知っているだけでは、新規事業のリサーチは成功しません。ここでは、実務で成果を出すための具体的なポイントを解説します。
仮説を明確にしてから調査する
「とりあえず顧客の声を聞いてみよう」という姿勢では、有益な情報は得られません。調査前に「何を知りたいか」「どんな仮説を検証したいか」を明文化し、それに沿った質問設計を行うことが前提です。
仮説が曖昧なまま調査すると、収集したデータをどう解釈すべきか分からず、結局「参考になった」程度の感想で終わってしまいます。仮説を立てることで、調査結果から具体的なアクションが導けるようになります。
顕在ニーズと潜在ニーズを区別する
顧客が「欲しい」と口にするものが、本当に求められているとは限りません。新規事業では、顧客自身が気づいていない潜在ニーズを掘り起こす視点が重要です。
そのためには、表面的な要望を聞くのではなく、行動の背景にある動機や感情を探る質問が必要です。「なぜそう思うのか」「その課題に対して今どう行動しているか」といった深掘りを繰り返すことで、真のニーズが見えてきます。
インタビューの質を高める準備
インタビューフローの作り込みが、調査の質を左右します。単なる質問リストではなく、対話の流れを設計し、相手がリラックスして本音を話せる雰囲気を作ることが大切です。
また、モデレーターのスキルも重要です。顧客の発言を遮らず、しかし曖昧な回答は掘り下げ、沈黙を恐れずに相手が考える時間を与える。こうした技術が、深いインサイトを引き出す鍵になります。
バイアスを排除する工夫
調査者の先入観や期待が、結果に影響を与える調査バイアスは、新規事業リサーチでも大きな問題です。特に事業企画者自身がインタビュアーを務める場合、無意識に自分の仮説を肯定する情報ばかりを集めてしまう危険があります。
対策としては、質問文を第三者にレビューしてもらう、インタビューを複数人で分担する、録画や録音を見返して客観的に分析するといった工夫が有効です。
調査結果を次の行動につなげる
調査は実施して終わりではありません。得られた知見をもとに、事業コンセプトを修正し、再度検証するサイクルを回すことが重要です。デブリーフィングを丁寧に行い、チーム全体で示唆を共有することで、調査の価値が最大化されます。
また、発言録を作成し、生の声をエビデンスとして残すことも重要です。後から見返したときに、なぜその判断をしたのかが追跡できる状態にしておくことが、事業の軌道修正をスムーズにします。
新規事業リサーチの実践事例
実際の企業事例を通じて、マーケティングリサーチがどのように新規事業開発に貢献したかを見ていきます。
金融機関の新規顧客開拓施策
ある金融機関では、新規顧客への金融商品販売が伸び悩み、既存顧客の高齢化による資金流出に直面していました。そこで、新規顧客開拓を目的としたマーケティング施策の策定にリサーチを活用しました。
まず、業界有識者とのワークショップを通じて、金融商品の枠を超えた「世帯全体の収支診断」サービスという独自性のある仮説を立案しました。次に、ターゲット層へのインタビューとアンケートを実施し、結婚や出産といったライフイベント後の顧客層に高い購買意欲があることを発見しました。
さらに、収支診断に同年代平均との比較機能を追加することで、より関心を引きやすくなることも明らかになりました。最終的に、インターネット広告からライフイベント情報を収集し、該当顧客に収支診断サービスを提案する施策として具体化され、投資対効果の有効性が確認されました。
システム受託会社の新規事業転換
老舗のシステム受託会社が新規事業を検討する際、まず既存顧客へのインタビューを実施しました。当初は新規事業開発に踏み切る方針でしたが、顧客ヒアリングと市場調査を進める中で、日本の既存マーケットでも売上やシェアを伸ばせる余地があることが判明しました。
この調査結果を受けて、リスクの高い新規事業開発ではなく、既存事業の強化という方向性に舵を切りました。適切なリサーチを行わずに新規事業に投資していたら、会社経営の負担となる可能性がありましたが、調査によってリスクを回避できた事例です。
食品メーカーの新商品開発
ある食品メーカーでは、新商品のコンセプト設定にあたって消費者のニーズを調べるため、エスノグラフィー調査を実施しました。6名の消費者の家庭を訪問し、実際の食生活や購買行動を観察することで、アンケートでは見えてこなかった潜在ニーズを発見しました。
特に、忙しい平日の夕食準備における時短ニーズと、週末の家族との食事における質重視のニーズが異なることが明確になり、商品ラインナップを2軸で展開する戦略につながりました。
まとめ
新規事業開発におけるマーケティングリサーチは、不確実性を減らし、顧客に本当に求められる事業を構築するための必須プロセスです。思い込みや社内の論理だけで進めると、どれほど優秀なチームでも失敗の確率は高まります。
重要なのは、事業フェーズごとに適切な調査手法を選び、仮説検証のサイクルを回し続けることです。初期段階では定性調査で顧客理解を深め、事業化判断の段階では定量調査で市場性を確認する。この使い分けが成功の鍵を握ります。
また、調査結果を正しく解釈し、次のアクションにつなげるための仕組みも欠かせません。デブリーフィングや発言録の作成といった地道な作業が、後の軌道修正をスムーズにし、事業の成功確率を高めます。
新規事業は挑戦の連続ですが、顧客の声に真摯に耳を傾け、事実に基づいた意思決定を積み重ねることで、市場に受け入れられる事業を生み出すことができます。マーケティングリサーチは、その道筋を照らす確かな武器です。
この記事を書いた人

石崎 健人 | 株式会社バイデンハウス マネージング・ディレクター
リサート所属モデレーター。外資系コンサルティング・ファーム等を経て現職。バイデンハウスの消費財、ラグジュアリー、テクノロジー領域のリーダーシップ。生活者への鋭い観察眼と洞察力を強みに、生活者インサイトの提供を得意とする。2022年より株式会社バイデンハウス代表取締役。2025年よりインタビュールーム株式会社(リサート)取締役。アドタイにてZ世代の誤解とリアル。「ビーリアルな、密着エスノ記」連載中。
