前回の復習
前回は、ファクトと内面化の往復という「洞察」が「自分の中にリアリティある顧客の人格を持つ」ことに繋がり、それこそ「顧客理解」であるとお伝えしました。
また、自分の主人格と、自分の中に形成した顧客のモデル人格(擬似人格)の間で行う内なる対話が、顧客理解を深めるというお話をしました。
しかし、顧客は必ずしも自分が理解したいと思う人ではない可能性があります。
人にはそれぞれ好みや価値観、人生経験の蓄積があり、どうしても感覚的に近い人・遠い人が生まれます。それは善悪や優劣がつくものではなく、ごく自然なことです。
このような「相性」は厳然として存在します。
それが顧客理解の難しさに繋がっている…というのが、今回のメインのお話です。
前回はこちらから
顧客理解は他者理解の延長
少し本筋から外れますが、最初に認識して欲しいことなのでお伝えします。
顧客理解とはマーケティングやマーケティングリサーチにおける特殊技能ではありません。
今まで「理解」について、なるべく身近な例を挙げてきました。思い返してください。私が書いてきたことは特別なことでもなんでもなく、あなたが普段から日常的にしていることです。
その「日常、当たり前のようにしている他者理解」の対象が、顧客になった。顧客理解とは、ただそれだけです。
マーケティング関連の職種以外の方でも、優れた顧客理解をされる方はたくさんいます。それが何よりの証明です。
もちろん、マーケティングにおける特殊性はあります。
いちばん大きなことは、日常ではもっぱら「個人」の理解となりますが、マーケティングでは、時として「集団」の理解となることです。この「集団」はセグメントなどとも言い換えられます(集団を理解するための手段として定量調査がありますね)。
しかし、その集団も結局は似たような特性を持つ個人の集合です(似たところを見つけて抽出するのがセグメンテーションの手順とも言えます)。
だから、顧客理解は日常の他者理解の延長線上にあると言ってよいでしょう。
余談ですが、マーケティングやマーケティングリサーチという「顧客の日常を切り取りフォーカスする」活動が、なぜか日常から断絶した、ビジネスにおける純粋な特殊技能とされることがあります。
先述の通り、そのような面はもちろんありますし、それゆえに私のような専門家がいます。しかし、決して日常から断絶したものではありません。日常と地続きの場所にあります(定性調査は、日常とどう地続きなのかを理解するための調査でもあります)。
「顧客の日常の切り取り方」や「その解釈の手法」などに専門性はありますが、ベースとなる能力はあくまでも日常の、普通の生活で培われたものです。
ここからは、その培われた能力がなぜ職場でスポイルされるのか、という話に移ります。
新人育成段階での間違ったアプローチ
マーケティングやマーケティングリサーチの現場では、しばしば「仮説思考潰し」が横行しています。
顧客理解について大事なのは洞察、つまりファクトと内面化の往復であり、内面化は自身の経験の詰まった「引き出し」によってなされます。そして、自分の中に顧客の「擬似人格」を形成していく…という話を前回しました。
したがって、洞察の過程ではどうしても自身の主観に基づいた意見を出さざるを得ません。
しかし、ここで上司や先輩といったトレーナー側から「それはあなた個人の意見では?」とか「エビデンスは?」「根拠は?」「それ、思い込みじゃない?」といった、洞察を一刀両断する発言がぶつけられることがあります。
トレーナーから見れば、その洞察は確かに「浅い」のかもしれませんし、成長のためを思っての発言なのかもしれません。
しかし、それらの言葉は気をつけないと、未熟なトレーニーにとっては「主観禁止」のメッセージとして響いてしまいます。
さらに悪いことに、それは「くだらない意見だな」という空気をまとって放たれることがあります。
少なくとも、トレーニー側はそう受け取ってしまう。
まだ未熟な段階でこれをやられると、恐怖でまともに反論できなくなり、内心パニックになって説明もできず、結果としてトレーナーの苛立ちを招く…という、完全な悪循環に陥ります。
私にも経験があります。
うっ、頭が…
…こうしてトレーニー側の仮説思考は芽の段階で潰され、単に事実だけを羅列したり、リサーチデータの中に「正解」を探し回るようになっていくのです。
顧客理解が難しい理由のひとつに、この「育成不全」があると考えています。
もしも組織に顧客理解を根付かせたいなら、トレーニーの主観に基づいた発言自体は歓迎しなければなりません。
これはエビデンスに反した発言を否定するなということではなく、「主観に基づいて発言すること」と「その発言内容を精査すること」は分けて考えよう、ということです。
主観に基づいた発言が、ただの思いつきではなく洞察の成果ならば、「望ましい基本的態度」を身につけつつあると判断し、それが根付くように指導する。
ただし、洞察した内容が誤っていたり「浅い」状態であれば、トレーニーのファクトの把握か内面化のいずれかが甘いので、その点は指導する。
このような指導・育成が求められるのではないでしょうか。
間違った指導の行き着く先
主観禁止が行き着く先は、顧客と自分を「基本的には似た価値観を持つ、同じ人間である」と思えなくなることです。
これは「売り手」と「買い手」を過剰に分断する思考です。
「売り手である自分は、買い手である顧客のことを想像などできない」
「自分の価値観で顧客のことを想像してはいけない」
と、骨の髄まで「教育」されてしまった状態と言えます。
こうなると致命的です。「顧客のことを想像する」という発想そのものがなくなるからです。
確かに、売り手と買い手は、違う意識を持った別人です。しかし、売り手と買い手には共通項がたくさんあります。
嬉しいときには笑い、悲しいときには泣く、同じ人間です。
あなたが理解しようとする相手は、別の惑星からやってきた宇宙人ではないのです。根本の部分では必ず通じることがあります。
だから文化や風習の違う異国の方とも、友人になれますよね。
これは個人的な意見ですが、セグメントや差別化など、マーケティングやリサーチでは差異ばかり強調される一方、その前提には大きな共通項があること、すなわち社会生活を送る上では、ある程度共通した価値観を持っていることが過小評価されているのではと思っています。
この「同質性」の認識を歪めてしまうことが、間違った指導の最大の問題だと思います。
人間には他者理解を嫌がる面がある
先述の内容はビジネスの世界に閉じたお話ですが、顧客理解が難しいことには、もっと人間の本質、本能に関わる理由があると思っています。
それは「人間はそもそも、他者理解が好きではない側面を持つ」ということ。
以下はあくまで、私個人の意見として聞いてください。
誰しも誰かを理解した経験はあると思います。しかし多くの場合、その対象は「なんとなく最初から好意を持てた相手」だったのではないでしょうか。
逆に、感覚的に明らかに合わない人、よく分からない人、少し苦手な人については、理解しようとするよりも、距離を取ったり、放っておいた経験のほうが多いと思います。わからないままストレスをため続けたこともあるでしょう。
そんな人とわかりあった「引き出し」は、ひょっとしたら持っていない人のほうが多いかもしれません(だから尊いと思いますし、物語ではドラマチックに語られるのでしょう。往年のドラマ「振り返れば奴がいる」などが思い出されます)。
なぜ、そのような人を「理解しよう」と努力することが難しいのか。
それは途轍もないエネルギーを必要とするからだと思います。
思い出してください。相手を理解することとは「自分の中にリアリティある相手の人格を持つ」こと、「自分の中に、その人格を住まわせること」です。
先述のような人の人格を自分の中に住まわせる。それが苦痛を伴うことは容易に想像できます。
苦痛を乗り越え、「理解」に達するまでに、どれだけエネルギーを使うか。
試しに、あなたの苦手な人をひとり思い浮かべて、その人を心から「理解」しようとするご自身を想像してみてください。辛いですよね。
もちろん顧客は「苦手な人」ではないでしょうが、それでも多くの場合「よく知らない人」です。そのような人を理解するには、やはりそれなりの頑張りを必要とするでしょう。
そのような苦闘、頑張りを必要とするので、「理解」から距離を置き、場合によっては拒絶を選択する。
あるいは、「わかった気」になり、「あの人はああいう性格だから」と決めつけてしまう。
それは自分の心を消耗から守るための、ある意味では当然の防御反応と言えます。
なお、それが倫理観や自制心を越えると、「攻撃」という形をとることすら生じます。相手がどう感じるかよりも、自分の決めつけを過剰に優先してしまう。
他者理解とは要するに「相手の立場でものを考える」ことでもありますが、皆が皆に対してそれができるなら、戦争も暴力も差別も存在しない…は言い過ぎにしても、今よりもっと少ない世の中になっていたことでしょう。
あまりうかつなことは言えませんが、これは「よそ者を本能的に排除する感覚」に近いのかもしれません。
共同体の平和や自分の安心安全を守るための防御本能。共同体の中の人は直感的な相互理解で結びつきを強固に、外の人にはまず疑ってかかる…など。
マーケティングやリサーチにおいて、顧客理解が必要なのは間違いありません。
しかし、このように考えると、それは大半の人にとって本能的にやりたくないことである、ぐらいに考えてもいいのかなと思います。
その意味では「他人の理解にはエネルギーを使うし、面倒くさい」という考えに流されてしまったとしても、それはごく自然なことかもしれません。
それは決して「あるべき姿」ではありません。ただ、そこをべき論で押し通そうとしても、人は動きません。
むしろ、その感覚を前提として受け止めたほうが、顧客理解を進めるための現実的で生産的な打ち手を結果的に考えやすくなる。私の経験上、そう感じています。
ひょっとしたら、あなたの上長にも顧客理解を面倒くさがる面があるかもしれませんが、ただでさえ上長は様々なことに忙殺され、時間も限られています。
そんな人が、顧客理解という非常にエネルギーを使うものを無条件に受け入れてくれるとしたら、それは相当に幸運な環境に身を置いていると思います。
次回予告:最終回
ちょっと重めの話になってきましたが、次回は「ではどうする?」という話をします。
あわせて、私が顧客理解のお手本にしてきた方々についても話し、この苦しい状況を打破するヒントを探したいと思います。
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この記事の監修者

石崎 健人 | 株式会社バイデンハウス マネージング・ディレクター
リサート所属モデレーター。外資系コンサルティング・ファーム等を経て現職。バイデンハウスの消費財、ラグジュアリー、テクノロジー領域のリーダーシップ。生活者への鋭い観察眼と洞察力を強みに、生活者インサイトの提供を得意とする。2022年より株式会社バイデンハウス代表取締役。2025年よりインタビュールーム株式会社(リサート)取締役。アドタイにてZ世代の誤解とリアル。「ビーリアルな、密着エスノ記」連載中。
この記事を書いた人
山本 寛 | マーケティング・リサーチャー
リサート所属。1975年生まれ。新卒入社の株式会社オリエンタルランドで2009年よりマーケティングリサーチャーのキャリアを歩み始める。その後、人材紹介のパーソルキャリア株式会社、株式会社ディー・エヌ・エーにリサーチャーの専門職として在籍。また、2020年から個人としても複数社を支援中。2025年より桜美林大学非常勤講師。事業会社側のリサーチャーとして、アンケート調査・インタビュー調査・観察調査など複数の手法を組み合わせて顧客インサイトを見出している。








